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*アメリカ軍の大部隊
2015年4月1日で沖縄にアメリカ軍が上陸してからちょうど70年目となります。沖縄戦は太平洋戦争末期にアメリカ軍が日本本土攻略の前哨戦として行った作戦で、死者が20万人以上となった太平洋戦争史上最大の激戦地です。

連合軍は沖縄攻略戦の事をアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)と呼んでおり、空母10隻以上、艦艇1500隻以上、兵員54万人以上を投入しました。アメリカ軍側だけで271万6691発の砲弾と機関銃弾3000万発以上が発射され、沖縄全土が瓦礫の山となるような大激戦となった戦いです。

日本側は沖縄に11万6400人の兵力を配置し、海からも戦艦大和を中心とする艦隊で連合軍に攻撃を加えますが、約3ヶ月でほぼ全部隊が壊滅状態になります。
ただ、アメリカ軍側の犠牲者も非常に多く、沖縄戦で多くの犠牲者が発生したアメリカ軍は核兵器や毒ガスの使用を本気で検討することになりました。毒ガスは使用されませんでしたが、次の日本本土決戦では毒ガスの具体的な使用が検討されています。


当時の日本側は本土決戦を前提条件にしていたことから、沖縄戦は時間稼ぎが目的となっていました。そのため、新型戦車などは本土に配置され、精鋭部隊も殆どが沖縄には配置されていなかったと記録に残っています。


↓アメリカの空母部隊
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↓沖縄に上陸するアメリカ軍と日本軍の抵抗
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↓アメリカ占領後に建設された日本人専用の強制収容所
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↓日本人村の放火や略奪行為も相次ぐ
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☆米軍の沖縄本島上陸、きょう70年 住民巻き込む戦禍に
URL http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241232-storytopic-145.html

引用:
 アジア太平洋戦争末期の1945年4月1日、米軍が沖縄本島に上陸してから1日で70年を迎えた。
 70年前、米軍は午前8時半から読谷、北谷の海岸に一斉に上陸を開始。日米両軍による地上戦が本格的に始まった。以降、住民を巻き込んだ戦闘が各地で繰り広げられ、住民の犠牲は軍人を上回った。
 米軍は上陸部隊だけで18万3千人という太平洋戦線で最大規模の兵員を投入した。それに対し、日本軍の第32軍は上陸時の戦闘を避ける戦術を取ったため、米軍は同日中に北(読谷)、中(嘉手納)の両飛行場を占領した。読谷村では米軍への投降を拒む住民が刃物や毒物、手りゅう弾などを使って命を絶つ「集団自決」(強制集団死)が発生した。
:引用終了

☆沖縄戦
URL http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6

引用:
沖縄戦(おきなわせん、沖縄の戦い)は、太平洋戦争(大東亜戦争)末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦(英: Operation Iceberg、氷山作戦)。
太平洋戦争において、フィリピンの戦い、ニューギニアの戦いに次ぐ規模の陸戦であり、また日米最後の大規模戦闘となった。

陸海空において日米の大兵力が投入され、アメリカ軍最高指揮官が日本陸軍の攻撃で戦死するなど、フィリピンの戦い (1944-1945年)や硫黄島の戦いと並び太平洋戦域のみならず第二次大戦における最激戦地のひとつとなった。
使用された銃弾・砲弾の数は、アメリカ軍側だけで2,716,691発。このほか、砲弾60,018発と手榴弾392,304発、ロケット弾20,359発、機関銃弾3,000万発弱が発射された[3]。また、地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたため、この戦闘を沖縄県では「鉄の雨」や「鉄の暴風(英:Typhoon of Steel)」などと呼ぶ[注 2]。
残された不発弾の処理は、陸上自衛隊第101不発弾処理隊と海上自衛隊沖縄基地隊の手により、現在も継続中である。

沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人とされる[4]。その内訳は、沖縄県生活福祉部援護課の1976年3月発表によると、日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。アメリカ軍側の死者・行方不明者は12,520人で、負傷者72,012人であった。
:引用終了

☆米軍の上陸戦闘
URL http://www.okinawa-senshi.com/landing-new.htm

引用: 
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4月1日。 当日の天候は晴天、日の出6時21分、満潮時間は9時10分であった。(米軍は艦艇が海岸近くのリーフを越えさせるために、満潮を利用しようとした)
 日本軍は数日前から嘉手納正面に徹底した艦砲射撃や航空攻撃が加えられていたことから、概ねの上陸地点を予想していたために、上陸に関して大きな混乱はなかった。

 沖縄第32軍司令部は、0800過ぎに「敵は本島に上陸を開始す。嘉手納正面2~3個師団、湊川正面1個師団内外」と米軍の上陸を報じたが、湊川正面の米軍は上陸直前に反転、海兵隊1個師団を使用しての欺騙作戦であった。 嘉手納正面に上陸した米軍は、日本軍の抵抗がほとんどなかったことに驚かされた。それは日本軍が戦略持久の目的として、損害が大きくなる対着上陸戦闘を捨てて主力部隊を首里周辺に配備していたためで、上陸海岸付近には僅かな兵力しか配備していなかったからであった。 その結果として、上陸1日目の米軍の戦死者数は28名、行方不明27名であった。 これに対し上陸1日目に激しい戦闘が行われた硫黄島での損害は、戦死548名、行方不明18名、負傷1755名、戦闘疲労(精神障害)99名であった。 沖縄本島の上陸戦闘は、いかに日本軍の抵抗がなかったかが理解できる。
:引用終了


沖縄の第32軍司令部は本土決戦に向けた時間稼ぎを重視し、内陸に部隊を配置しました。その結果、アメリカ軍は日本軍の攻撃を受けずに沖縄の海岸に上陸します。最終的には日本軍の「時間稼ぎ」という行動が、沖縄住民の犠牲を増やす事態を招いてしまいました。

また、アメリカ軍の兵士らも長い戦いでストレスや疲労が蓄積したことから、占領後に放火や略奪行為などを各地で行います。今でも基地問題として沖縄戦の傷は深く残っており、この戦いは忘れてはいけないと言えるでしょう。

今年は終戦から70年目となります。沖縄戦だけではなく、これを機会に第2次世界大戦という物を改めて振り返ってみることをオススメします。
戦史・政治外交・内政等が大きく変化した時期なので、流れを追うだけでも興味深いです。最近では第2次世界大戦を国家規模で再現した「ハーツオブアイアン2」というようなゲームもありますし、堅苦しい形に縛られずに、様々な角度から見てみると良いと私は思います。


☆アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦


☆Okinawa war 1945 4 沖縄戦カラー映像


☆カラー版 第二次世界大戦 最終回 太平洋での戦い


☆沖縄戦 1


☆【艦これ】ゲームモードの復元歷史 真珠湾~終戦



沖縄戦 アメリカで公開が制限された映像 投稿者 JAPAN-001